東京高等裁判所 昭和27年(う)353号 判決
被告人 江島秀雄
〔抄 録〕
弁護人A同Bの控訴の趣意第二点について。
自動車を運転して鉄道の専用軌道の踏切を横断通過しようとする場合において該踏切警手等の開閉する遮断機或いは自動警報器等同所を横断通過する人車等の安全を確保する施設のないときには踏切を通過する汽車、電車等の存否に対しては深甚の注意を払う必要があることはいうまでもないところである。そして、踏切の左右の軌道が相当の遠距離まで見透しが良好で、運転者が自動車の操縦をしながら同踏切のはるか手前から同軌道上を通過する軌道車のないことその他同踏切通過に支障がないことを確認できたような場合には、運転者において直ちに該自動車を運転して右踏切を横断通過しても差支がないものと考えられるけれども、踏切の左右或いはその一方の軌道が彎曲していたり、踏切に接近して人家その他視界を遮るものが立ち並んでいるため見透しが悪く、踏切に極めて接近しなければその左右から進行して来る軌道車の存在が確認できないような場合には、運転者は踏切に接近していつたん自動車を停止させた上自ら同軌道上を同踏切に向つて進行して来る軌道車の有無を確認することは勿論、もし、同自動車に乗務する助手または車掌等がある場合にはこれを下車せしめ、踏切を通過する軌道車が踏切を横断通過するのに危険がないかどうかを注視させ、その状況又は状況判断を運転手に報告しながら同踏切内に自動車を誘導せしめ、もつて、細心の注意を払つてこれを横断通過することは自動車運転者の業務上とるべき当然の措置であつて、ことに雨天、夜間等、見透しがとくに良好でない場合には、かかる踏切通過についてなお一層の注意を払うべき業務があることは多言を要しないところである。原判決の認定した事実の要旨は、被告人は自動車の運転者であつて乗客四十数名を乗車させた乗合自動車を操縦して神奈川県小田原市井細田六百七番地先小田急久野川電車軌道踏切を同市久野方面に向つて横断通過しようとしたところ、同踏切はこれを越えた前方とその左方軌道上の見透しは可能であつたが、その右方軌道は、これに沿つて人家が立ち並び、さらに、軌道に近接して防風用の常盤木が密植されているため、同踏切の右側に対する見透しが悪いのにも拘らず、同所には踏切警手の開閉する遮断機や警報器等電車の通過を予報する施設がなく、ことに夜間は同踏切の右約三百五十米先にある同線足柄駅の屋外灯や同駅裏の倉庫の屋内灯等が点々として視野に入り、それ等の光と同駅方面から同踏切方面に向つて進行して来る下り小田原行電車の前照灯との識別が困難であるのみならず、被告人は夜間自動車を運転して同踏切を通過した経験がないのであるから、同所を通過するに当つては先ず、足柄駅までの電車軌道を見透しうる箇所において、いつたん同自動車を停止させた上車掌の誘導によつて同踏切を通過するか、すくなくとも細心の注意を払つて同駅方面から下り電車の進行して来ないことを確認してから、あらためてその進行を開始し、もつて安全に同踏切を通過する等、事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにも拘らず、事茲に出でず、右踏切の十数米手前から自動車の速度を漸減しながら進行し、右踏切直前においてその右側の方面を注視したけれども、その際視野に入つた足柄駅裏の倉庫の屋内灯及び同駅プラツトホームの屋外灯の光に幻惑され、折から同駅を発して下り線軌道を同踏切方面に疾走して来た三輛連結の電車に気附かず、たやすく下り線に電車がないものに即断し、同自動車に乗務していた車掌小野寺美代子の「左オーライ」の声と同時に速度を増し同踏切を通過しようとしてこれに自動車を乗入れたため、右下り線軌道上において自動車の車体中央部より後ろ寄りの箇所に電車の前面を衝突させ、よつて、乗客中七名を死に致らしめその三十八名に傷害を負わしめたというのであつて、該事実は原判決挙示の各証拠によつてこれを認めることができ、該認定に徴すると、被告人には前に説明したような自動車運転者の遵守すべき業務上の注意義務を怠つた過失があつて、これが右衝突の一因を為したことは疑のないところである。それ故右電車の運転手において右電車の運転につき或いは右踏切を設置した者において踏切を横断する人車の安全を確保するための施設をしなかつたことについて、それぞれ所論のような過失があつたと否とに拘らず、被告人においてその罪責を免れることができないことは当然である。そして、原審は右衝突及びこれによる事故はすべて被告人の不注意に原因するものであつて、右電車の運転手や右踏切を設置しながらこれを横断する人車の安全を確保する施設をしなかつた者に何等の過失がなかつたことを認定したものでないことは原判決を一読すれば明らかであり、また、右の者等に過失があつたとしても、被告人に対する本件犯罪としてはこれを説示することを要しないものと解すべき原判決には何等所論の違法はなく、論旨は理由がない。